Jun 18, 2016

涙の分解作業

あまりにも不意打ちで、理解し難い悲しみに遭遇したとする。何か大切な存在の喪失や、大きな傷を負うことなど悲しみの原因は様々だ。だけど悲しみに打ちひしがれる中でも自分のことを冷静に見ているもう一人の自分がいる。悲しみを和らげるための、ある種防御策なのかもしれない。それをいつも涙の分解作業と呼んでいる。

しばらく泣いていると、本当にその悲しみが喪失感から来るものなのかと疑問を持ち始める。そして、その悲しみを招いたのは自分が選択した行動だったのではと仮説を立て始める。責めて責めて責め立てる。悲しみの感情は愛おしさの延長線上にあるもので、自分を責めている時は決して悲しんで泣いているわけではないと気付く。では、なんで涙が出るのかという疑問が浮かぶ。そうすると次に自分の責任からくる悔やんでも悔やみ切れない感情に締め付けられる。不憫な自分に対してまた涙が溢れてくる。自分に対して軽蔑と哀れむ感情がごちゃ混ぜになり、なんだかよくわからなくなってくる。だけど、悔やむの延長線上には悼むがある。そしてただただ現実に哀しみ嘆くという感情に戻るのだ。

どんな事が起きようともまた明日が来る。結局のところ時間だけが解決できる事柄ってツライんです。そう、神様が人間に与えた唯一の平等が「時間」なんだよね。昨日より今日、今日より明日って、確実に時間が心の向きを正してくれるのは間違いないこと。時間が解決してくれるって、すごく抽象的であって現実的なの。

哀しみは消えないし、無理に消すことが解決でもない。受け入れられないのも当然のこと。哀しむ気持ちは人間にとって大切な感情の一つ。
そしていろんな感情に駆られて、最後に感謝の気持ちが溢れてきたら、涙の分解作業はおしまい。この作業は1日で終わる涙もあるけれど、何年も何十年もかかる涙もあるんだよね。


#RIP

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